ところが、はりきっていたのは最初だけで、6月中旬になってから、最初から習った事が全然わからない、「4月からやり直したい」と言い出しました。
そして、高校の入学して初めての三者面談で、娘が隠していた中間テストの結果を見せてもらいました。1学期の中間テストで赤点6教科ありました。
留年の危機の宣告を受けた三者面談で、担任の先生から赤点と留年のしくみを説明してもらいました。30点以下が赤点で、定期テストごとに赤点を取ると、それぞれの教科で補講を受けなければならなくて、再テストは1回で、倍の点数を取らないと中学校で1に該当する評価がついてしまう事。
通年で、各教科評価の合計が一定以上いかないと単位を落としてしまう事・・・
1年間を通して1教科でも単位を落とすと、留年になる事・・・などの説明を受けました。
中学では主要教科は5教科ですが、高校では、英語だけで2教科、数学も2教科、社会は3教科、国語も現代と古文と分かれていて、全部で約10教科ありました。正確には、12教科ありました。そして、それぞれが1教科とカウントされていました。
赤点を取ってしまうと、担任の先生が電話をくれて、補講と再試の日程を教えてくれました。私は電話で聞いた補講のスケジュールを紙にメモしましたが、赤点の数が多いと、その分補講の数も多くて大変でした。娘本人も当然補講のスケジュールは学校で聞いていたと思いますが、私の役目は、補講をサボらずに行かせる事でした。
塾長先生は、「赤点をできるだけ消さないと」と言ってましたが、補講をサボってしまったら、赤点を消せないのです。
私は補講のスケジュールを娘に紙で書いて渡したり、メッセージを送ったりして何とか補講に行かせるようにしました。
そして、再試が終わるまでは遊びの予定を入れさせないようにしました。ダンナと娘は再試前でも、赤ちゃんのいるダンナ側の親戚の家に遊びに行く予定を入れてしまったりしました。私は娘のスケジュールを把握していないダンナに頭にきて、娘のスケジュールを書き留めて把握させるように言いました。
再試の問題は比較的簡単で、先生によっては、プリントを渡されてそこからほとんど同じ問題が出る事もあったようですが、赤点教科が多いと、当然再試の数も多いのです。
再試の結果が出ると、また担任の先生が電話をくれました。
留年の危機を宣告されてから娘とのバトルはますますヒートアップし、娘から「・す」「こんな家出て行きたい」「離婚して」と言われました。
そして、1学期の期末テストでは、赤点が9教科に増えてしまいました。テスト結果の一覧表で、赤点教科は網掛けをしてあるのですが、ほぼ全教科、赤点マークがついていた結果を見た時、私は目の前が真っ暗になりました。
雪だるま式に増えて行く赤点の数・・・私は精神的に、崖っぷちへ追い詰められていきました。
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