ダンナの携帯に、お誘いメールが届きました。基本は親と子供の参加で、娘は毎年欠かさず参加していました。お父さんと参加する家庭や、夫婦+子供で参加する家もありました。
私は相変わらず低迷を続けていたので、同窓会に参加して、他のお母さんと会って子供の話をする気になれませんでした。娘が反抗期になってから、何年も参加していないので、いつしかお誘いメールも私ではなくダンナに届くようになっていました。
保育時代のママは戦友のように、大変な時期を共に過ごしてきていて、いい人達ばかりで、子供自慢するような人はひとりもいませんでした。働くママはお互い忙しいので、噂話とか、他人の事を干渉する人もいませんでした。同じ働くママという意味では、同志のようでした。専業主婦ママからは、子供が小さい頃から保育園に預けるのはかわいそうと言われ続けてきましたが、保育園時代は、私より海外出張の頻度が多い人もいて、働く事は普通で当たり前の事・・という環境でした。
小学校に上がってからは、働くママが少数派になってしまい、私は近所のママ友軍団には全く入れなくなってしまいました。平日のPTAやパトロール活動も、有給を取ってまで参加するつもりは全くなく、私の方から壁を作っていました。娘の通う私立高校ではママ友軍団が消えたのはホっとしました。ママ友がいない私にとって、保育園時代のママは懐かしくもありました。
それでも、私は保育園時代の同窓会に行けずにいました。心をずっと閉ざしたままでした。たとえ子供自慢じゃなくても、優秀で、いい高校に行った娘と同じ年代の子供の話を聞く事は、私にとって苦痛でした。
娘が中学校で落ちこぼれてから、私は保育園時代の同窓会や独身時代の飲み会にほとんど行けなくなり、半ひきこもりになりました。
娘が高校生になって、高校でも落ちこぼれて留年の危機に陥ってから、私の心は閉ざしたままでした。
==> 留年の危機に陥った娘・・留年を回避する
私が行かなかったので、ダンナと娘が参加しました。
娘とダンナが保育園の同窓会に行っている間、私は一人孤独に、娘の古い写真の整理をしました。何と、7年くらい前から、写真をCDやDVDなどに落としていなかったのです。娘の写真は家の私のパソコン、ダンナのパソコン、ダンナのスマホなどに入っていたので、まずは年ごとにフォルダを作って、画像を集めていく作業から始めました。私は娘の小学校の写真を見ながら感傷に浸ってしまったので、作業はなかなか進みませんでした。
後になってダンナから聞いた話によると、子供達がひとりひとり近況報告する事になったそうですが、娘は黙ってしまってひとことも話せなかったそうです。普段明るくて、友達も多いと豪語しているのに、大勢の前で話す能力がないのでしょうか・・
それとも、部活もやっていなくて、話す事が思い浮かばなかったのでしょうか・・・
写真を見せてもらいましたが、男の子は誰が誰だかわからなくなっているくらい背が伸びていて、変わっていました。
ダンナは、私も参加すれば良かったのに・・と何度も言いました。保育園出身の人達は(同じ共働きなので)、同じ価値観の中にいる。誰も子供自慢なんてしないし、学校の話なんかにもならなかったよ・・と・・・
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