==> 波乱万丈だった高校1年生
==> ついに塾から見捨てられる
私は大学に入った時と、社会人になってから、世の中優秀な人材はいくらでもいる事を知り、自分が優秀でない事に気がつきましたが、自分では努力してきたつもりでした。
仕事に関しては、新卒以来、短い産休、育休だけでブランクを作らずに走り続けてきたので、自分では継続は力なりと思ってきました。
様々な問題に直面しても、自分の力で乗り越えてきました。
そんな私が自分の力ではどうにもならなかった事は、娘の勉強でした。
他の人の子供自慢を聞くのが辛くなりました。
人生初の挫折、だったかもしれません。
娘は、小さい頃はよく私に似ていると言われたのに、1年、1年、大きくなる度に、性格も、行動も、私とかけ離れてきました。
私だったらこうするのに・・・
何故、できないの・・・
娘が小さい頃、私は娘を過去の自分と比較していました。
==> 娘を過去の自分と比較していた
比較された娘は、ますます反発していきました。
娘は「ママのようになりたくない」、「ママは幸せじゃない」と言いました。
私は、娘に、「こんなひどい点数、ママは生まれてから一度も取った事がない」と言ってしまいました。
中1の頃も私は全教科、つきっきりで娘の勉強を見ていましたが、私が必死になればなる程、娘は抵抗しました。
娘は定期テストの結果を隠していて、いつもなかなか出そうとはしませんでしたが、私はテスト結果を見るのが怖く、結果を見た後は奈落の底まで突き落とされて、落ち込みました。
娘は0点は取った事がありませんでしたが、中学でも高校でも一桁とかは取ってきました。
こんな胸が張り裂けそうな思い、自分の事では経験がありませんでした。
定期テストの点数、順位や模試の順位を見る度に奈落の底に突き落とされるようなこんな気持ちって、娘の成績が悪くなければ味わなくて済んだのに・・と思いました。
私は追い詰められていき、心まで壊れてしまいました。
個別塾に入ってからは、ピーク時で7講座取ったので、つきっきりで勉強を見る必要はなくなりましたが、その個別塾も高2の夏休みで辞めてしまいました。
==> ピーク時は塾の月謝に十数万、7講座取っていた
==> 塾を辞めると伝えたけれど、引き止められなかった
==> ピーク時は月に十数万円かけた塾を辞める決意をした理由
お金もかけましたが成果は出ず、塾はサボるし、娘の成績は底辺に落ちこぼれていきました。
私は、自分とかけ離れたタイプの子供を育てる事の難しさを実感しました。
娘が何で努力しないのか、何故がんばらないのか、理解できませんでした。
何故こんな簡単な問題が解けないのか、どこがわからないのか、理解できませんでした。
私ができる事はやろうと思ってきましたが、どうしたらいいのか、どうするべきなのか・・・私が必死になればなる程、状況が悪化するように感じました。
育て方を間違えたのか・・・?
どこで間違えたのか・・・?
私は何度も自問自答しました。
高2になり、塾からとうとう見捨てられてしまいましたが、私が娘を見捨てるわけにはいきませんでした。
留年の危機の問題もありましたが、私は、娘を大学に入れたいという目標ができました。
娘が望むのなら、大学入試の勉強をつきっきりで見る覚悟もありました。
もちろん、忘れてしまっているので、教えるためには、まず自分が勉強しなければなりませんが・・・
私は教える事が下手で、学生時代から、私の教え方わからないと言われてきましたが、必要ならば、教え方の研究から始めるつもりでした。
ただ、高校生ともなれば、つきっきりは娘も拒絶したし、親子では喧嘩になってしまうので、無理でした。
本人との温度差は感じてしまいましたが、それでも、自分が費やせる時間を可能な限り使って、大学受験に取り組もうと決意しました。
==> 本当に大学行きたいの?・・娘との温度差を感じる
休日も、有給も、平日の夜の時間も、通勤時間も、娘のために使おう・・・
私が娘のために費やした時間の9割が無駄になったとしても、できる事はしようと思いました。
勉強しない娘は、正攻法ではいけないので、大学受験は情報戦であると、私は考えました。
では、具体的に勉強ができない子供の大学受験のためには、親が何ができるのか・・・
科目を絞ったとしても、勉強だけでは、歯が立たないのではないか・・・
娘のためにできる事はもうそんなに多く残されていないから・・・
勉強ができない子供の大学受験は、先の見えない闘いで、手探り状態でした。
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