中3の時の三者面談では、担任の先生からは、まさに、最、最底辺の公立高校を提案されました。
「最、最底辺」とか、「ザ・最底辺」という言葉が自然と頭に浮かびました。
漠然とした不安ではなく、私は切羽つまっていて、追い詰められていました。
娘が無事高校生になって、安心したのもつかの間・・
わずか入学2ヶ月後には、娘は、最初から習った事がわからない、と言い出しました。
1学期に留年の危機をされてから、「このままでは行ける高校になくなる」という不安は、「留年したらどうしよう」という不安に変りました。
娘が高1、1学期の中間テストで赤点6教科、期末テストで赤点9教科取ってから、私は留年が不安で、夜も眠れなくなりました。
==> 赤点9教科に増える
もし留年してしまったら、もう1度1年生をやり直すか、通信制などの高校に転校するか、中卒で就職、またはフリーターになるか・・・
==> 高校で留年してしまった場合の選択肢
娘に勉強を教えようとしたり、勉強をさせようとした事が原因で、反抗期は普通よりも酷くなりました。
娘が反抗期になるまでは眠れないなんて事はなかったのに、本格的な不眠症になりました。
また、ご飯が食べられなくなり、体重は私自身が高校生だった頃よりも5キロも痩せてしまいました。
誰にも相談できなかったので、私は周囲の人と壁を作り、心を閉ざしてしまいました。
ただ、夜も眠れない程心配なのは私だけで、娘やダンナとは温度差がありました。
娘は、自分の置かれた立場を理解しているようには見えず、恋愛で頭がいっぱいのようでした。
落ちこぼれの子供を持つと、余計な心配をしなければならないと思ってしまいます。
テストの結果が出る度に心臓が止まりそうになって、
結果の点数や順位を見る度に目の前が真っ暗になって、頭を殴られたようになり、落の底まで突き落とされて・・・
胸が張り裂けそうな、この不安・・・
三者面談の度に告げられる、赤点の数や留年の危機。
心臓に悪いし、寿命が縮まると思ってしまいました。
通勤電車の中でも、買物に行く時も、いつも娘の事を考えていました。
留年の判定が出るのは三学期。
留年問題や進学の不安
この不安はいつまで続くのか・・・
私の気持ちは、誰もわからない。
そう思いました。
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