今度こそは・・と、期待してはいけない。
これは、娘が中学生の頃、成績が底辺に落ち込んだ時からのセオリーでした。
娘が中学に入学して急に反抗期になった頃、私はメンタルをやられてしまいました。
コップの水がどんどん溜まって溢れるように・・・
コップのガラスが割れて壊れてしまったように、私の心も壊れてしまいました。
眠れなくなり
食べれなくなりました。
娘が反抗期になる前は、いつでも眠れる事が特技で、眠れないなんて事はなかったのに・・・
娘が中1の頃から眠れなくなりました。中2の夏頃、全く眠れなくなり、市販のドリエルから入りました。
一回2錠の服用で、12錠しか入ってなくて2000円以上しました。最初はドリエルは効きましたが、あっという間に使い切ってしまいました。これでは高すぎるし、1箱に入ってる錠剤も少なくて、毎日服用するようなものではありませんでした。
眠れなくなりました。
最初の頃は、1日くらい眠れなくても、翌日には眠れるだろうと思っていましたが、本当に眠れませんでした。
眠ろうとすると、不安な思いが次々に頭に浮かんできて、止まらなくなるのです。
翌日は仕事なのに・・・
焦れば焦る程眠れなくなりました。
何度も時計で時間を確認してしまいました。朝起きる時間まで、あと4時間しかない、3時間しかない・・・
ネットでは眠くなるまでベッドに入るなと書いてありましたが、会社員の私にはそんな事してたら徹夜になり、身体が持つわけありませんでした。
仕事は絶対休めない。
我が家やマンションで狭いので、夜中にバタバタするとダンナや娘を起こしてしまうので、眠れなくても暗闇の中でじっと闘っていました。
夜が来るのが怖くなりました。寝る時間になるのが、怖い
眠れないのが怖い
暗闇が恐怖でした
羊を数える。英語で羊を数える。ネットに載っている認知行動療法や呼吸法。食事。カフェインを抜く。ブルーライト、読書・・・
眠ろうとすればする程頭がさえてしまい、何をしてもダメでした。
このままでは、仕事が続けられなくなる・・と思いました。
不眠は、鬱の入り口でした。
初めての睡眠薬は半分に割って飲むように言われましたが、半分では全く効きませんでした。
それより数ヶ月前に、パニック障害として使用されている精神安定剤が服用されていました。
頓服と言われていたけれど、まもなく3種類の薬を多い時で1日2回常用するようになりました。
薬は1回に3ヶ月分、睡眠剤は1ヶ月分処方してくれて、受付で薬を受け取れるようになりました。
漢方も処方してもらいましたが、効きませんでした。睡眠サプリも併用しました。
薬は仕事が休みの土曜日に取りに行きましたが、とりあえず睡眠剤が切れるのが怖かったので、3週間に1度とか、微妙にタイミングをずらして薬を貯め込む事にしました。
睡眠剤を飲んでも眠りは浅く、中途覚醒、早朝覚醒というものをするようになりました。そして、悪夢を見る事が多くなりました。
ダンナや娘から離れて、1人ぼっちになり、一人暮らしを始めようとしているような夢もよく見ました。
ダンナにも両親にも薬を服用している事は話さなかったけれど、娘と大バトルになり、ある時、私は薬の袋を床に投げつけたら、大量の薬が床に散らばってしまいました。
ダンナは帰りが遅くて、娘と2人でいると、自分がだんだん狂気に陥っているのか、正気なのかわからなくなってきました。
薬って、想像以上に、1度始めたら依存してしまうものでした。
更に過敏性胃腸炎になり、過敏性胃腸炎の薬も処方してもらったので、ご飯が食べられないのに、何だか薬漬けで、薬だけでお腹がいっぱいになっちゃうなぁ・・と思いました。
それに、薬は完全に治してくれるのではなくて、あくまでも一時的に気持ちを少しだけ楽にするだけにすぎませんでした。
根本的な問題は何も解決しなかったけれど、薬に頼らないと生きていけなくなってしまいました。
怖いのは、もっと強い薬がないと眠れなくなる事でした。
眠れないと、本当に気がおかしくなりそうでした。
このまま朝が来ないのなら、
永遠に朝が来ないのなら、それでもかまわないと思いました。
通勤電車のホームとか、踏み切りで吸い込まれそうになりました。
紙一重だなって思いました。
あの世とこの世
狂気と正気
それでも・・・
たとえ自分の心が壊れても、娘の成績は何とかしようと思っていました。
・・・
こんなはずじゃなかった。
親もそこここ裕福で、大学も、就職も、結婚もストレートで来たはずの私が、どこで間違えたのだろうか・・・
娘には「負け犬」と呼ばれたけれど、結婚するまでは勝ち組ではなかったのか・・・
結婚、子育てでつまずいて、娘の偏差値が底辺に落ちるまでは、順調に人生を歩いてきたはずではなかったか・・
娘の成績が悪いから、負け犬になってしまったのだろうか・・・
子育てを失敗したのだろうか。
家にあった物やお金が失くなっているような気がしたら娘を疑い、何も誰も信じられなくなって
おかしいのが自分なのか、娘なのかすらわからなくなりました。
なぜ私は、こんなにも大切に育ててきた自分の娘に憎まれ、「負け犬」と呼ばれるようになってしまったのだろうか・・
こんなはずじゃなかったのに・・・
戻りたい。
・・・
そんな中でも私は、小さな希望と期待を持ち続けてきました。
期待すれば、いつも裏切られる。
今度こそって思っても、いつもいつも、奈落の底まで突き落とされるのに・・・
たった1%の希望にすがっていました。
1%の希望と、絶望の中で、私は行ったり来たりしていました。
希望がなければ、生きていけない。
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