そして、中1から高校に入学するくらいまで、数え切れない程、考えました。
ひとりになる事は、できるのか?
ひとりぼっちになって、引越しをする夢も数え切れない程見ました。
引越し先の家は、古い家だったり、古いアパートだったり
夢の中では、私はひとりぼっちで、新しい家財道具などを揃えたりしていました。
頭の中で想像もしてみました。
まず、誰にも告げずいなくなる事も考えましたが、仕事を辞めてしまったら、食べていく事は難しいと考えられました。
今更、他の仕事はできない。
もし私が消えたら、両親は娘とダンナ側につくだろうから、両親とは永遠に絶縁関係になっちゃうな・・・
世の中で誰も味方がいなくなって、本当の独りぼっちになってしまう
・・なんて、考えました。
それでは、2、3年の予定で海外に単身赴任できないか・・・
多分、そんな事申し出たら、治安が悪い途上国に飛ばされる可能性がある
永遠に帰って来れない可能性もある
第一、病気になったり、困った事があったら頼る人が会社の人しかいないなんて、やっていけるのか・・
もしメンタル面が悪化したら?
国内だって、自分に合う病院や薬を見つけるのは難しいのに・・・
若い時だったらともかく、無理
気力もない。
では、国内で転勤を希望したらどうなるか・・・
それも永遠に帰って来れない可能性がありました。
もし、仕事を続けて、離婚となって、マンションを残して私だけ出て行く場合は?
私の方が収入が多いので、養育費を払う義務はあるのだろうか?
ブログのメッセージでも、私と同じようにひとりになりたいとか、時々家族を捨てたくなると考えた事があるという方も今までに何人かいました。
どう折り合いをつけていくか
ひとりになる事を何百回も、何千回も自分の頭の中でシミュレーションしながら、私は実行しないできました。
ひとりでは、生きていけませんでした。
娘が中学校に入学してから、今に至るまでずっと、私はうつ状態でした。
気分に波はありましたが、仕事以外は軽い引きこもり状態で、誰にも会いたくないという状態が少し良くなったり、悪くなったりを繰り返してきました。
眠れなくなり、ご飯が食べられなくなりました。
娘とダンナは時々、週末にダンナの家に泊まりに行ってしまうのですが
ダンナと娘がいない時、私は一歩も外へ出ず、ご飯もろくに食べなかったりします。
平日のための作り置きはしますが、自分のための料理はする気になれません。
食べるとお腹が痛くなるので、何もなかったらレトルトのお粥とか食べるし、冷蔵庫にある物を適当に食べます。娘がいないと、野菜を茹でる事すら、スーパーに買いに行く事すらしなくなってしまいました。
自分もあまりご飯は食べないのですが、ペットにご飯をあげる事も忘れてしまいます。。
普段はダンナが朝、娘かダンナが夜にあげるし、お腹が空いたら鳴いて催促するのですが、催促されないと忘れてしまいます。
ダンナは私の料理が低迷する前も魚をさばいたり、料理はできたのですが、私があまり作らなくなった分、自分で食べたい物は自分で作るようになりました。
平日は娘が食べるので私は夕食を作りますが、娘が反抗期になって以来、料理が上手くできません。
料理も失敗ばかりです。
うつ状態で料理を作る気になれないと言っても、作らないと娘の夕食がないので、平日は作ります。
自分やダンナの夕食はどうでもいいのですが・・・
基本的に娘が食べないメニューはほぼ作りません。
例えば、筑前煮とかも娘が食べないので、ダンナが作る事があっても、私は娘が食べないメニューに労力を使う事はありません。
娘が食べる平日メニューはカレーとか、シチューとか前の日から作っておけて、皿数が少なくて済むメニューが多くなります。
でも、自分で作っておいて、自分が作ったご飯が一口も食べられない事があります。
例えば、カレー類(インドネシア風とかキーマカレー、ドライカレー)とか、麻婆豆腐とか、豚キムチは娘が良く食べるし、仕事から帰ってからでも作れるメニューでもあるのですが、私が食べると少量でも、お腹が痛くなってしまいます。。
マイルド味とか、いろいろやってみましたが、ダメでした。辛いものや、肉の塊がダメみたいです。
自分で作った料理を食べられないなんて・・・
豆腐も冷奴とかにすると食べられるのに・・・
ストレスで、ヤバいくらいにいつも、お腹が痛い・・・
自分が食べられないので、料理や食べ物に対する執着心がどんどん薄れていきました。
人と外食する機会が全くないわけではありませんが、外食も怖い
食べたくない。
作るのも面倒
でも、娘が帰って来るなら、作らないわけにいかない
たとえ、自分が食べないメニューでも・・・
だから、もし私がひとりになっていたら、ご飯も食べず、外にも出ないで、
人とも話さず
ご飯も食べず
私はおかしくなっていたかもしれません。
多分、そうなっていた・・・
ひとりになるという事は、生きる目的も失って、何もしなくなるという事を意味していました。
苦しみも悲しみもなくなるかわりに、多分私は何もしなくなる・・・
娘の存在が
時には私を追い詰めましたが
日々の生活と日常を保ってくれました。
ご飯を作って食べるという習慣と
食卓の彩りと
そして受験
私に生きる道と、目的は与えてくれました。
もし私が交通事故とかに遭ったら、ダンナは多分、願書も出さないから
娘を大学に入れる事だけが、私の目的でした。
ひとりでは、生きていけませんでした。
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