ダンナが心の病から抜け出すまで③ パワハラ、失業、そして日雇い労働
会議には呼ばれず、社内メールのアドレスも貰えなかったそうです。
そして、3ヶ月くらいで次の会社を決めずに辞めてしまいました。
ダンナはハローワークとリクルートに登録して転職活動をしましたが、なかなか決まりませんでした。
会社によっては、SPI(筆記試験)があり、ダンナは本を買ってSPIの勉強をしました。
ダンナは数学が苦手なので、私は数学を教えてあげましたが、私は教え方が下手なので、私の説明は全然わからないと言われました。
SPIは範囲が広いので、当時30代のダンナにとって、勉強はキツイようでした。
失業保険は受給されましたが、なかなか決まらなかったので、ダンナは日雇い労働をしました。
日雇い労働と言っても、失業保険を貰っていたので制限があり、制限内でバイトをしていたので、収入は微々たるものでした。
私は仕事をしていたので、ダンナが主夫になり、家事全般を担当しました。
「一回の食事は500円で作るようにしてね」と言うと、500円はさすがに超えていたと思いますが、材料にお金をかけない工夫したメニューが出てきました。
数えきれない程の会社に落ち、ダンナはある会社のコールセンターの立ち上げの仕事で、契約社員として内定を貰いました。
契約社員として入って、正社員になれる可能性もあると言われたらしくて、ダンナはこの会社に入るか悩みました。
転職活動にも疲れていたし、無職の期間が長くなってくると不安になったのでしょうか・・・
私は、契約社員はやめた方がいいと、断固反対しました。
大変な仕事を任せらても、結局社員にさせてもらえない可能性も大きい
契約社員をしながら他の会社を探そうとしても、残業、残業で時間がなくなってしまうかもしれないし、気力もなくなるかもしれない
ずっと契約社員から抜け出せなくなってしまう可能性が大きいと思う
・・・と主張しました。
経済的観点から考えると、私も仕事をしていたので、仮にダンナの失業期間が続いてしまったとしても、家のローンを払えなくなるとか学費が払えなくなるとかはなくて、何とか生活はできたので、今すぐに働いてもらわないと困るという事はありませんでした。
☆☆☆
先日、ダンナと2人でテレワーク用の周辺機器やモニターを探しに街に買い物に行きました。
すると、たまたま通りかかったビルがあって、ダンナが「このビルに、日雇い労働やっていた時の事務所があった。バイト代を貰う時とか、取りに来た」と言いました。
「現金だったの?」と私が聞くと、ダンナはそうだったと答えました。
ダンナは、あの時日雇い労働やっていたから、ちょうどタイミングが合って、今の会社に入れた・・・と言いました。
そしてパワハラを受けたあの会社に入っていたから、今の会社に入れたとも言いました。
パワハラを受ける → 辞める → 無職 → 日雇い労働 → 契約社員を断る → 今の会社
全ては線で繋がっていた・・・
私はそう思いました。